はじめのうちは、対談という形で自分たち夫婦のことを振り返りながら深掘ってみようと思っています。
まずは第一弾として、「共働きあるある」な夫婦での家事分担についてです。
家事分担の割合
まずはわが家の家事分担の話からですね。
共働き家庭の家事分担ってみんなどうしてるのか確かに分からないよね。
それぞれの家庭でやり方も違うだろうけど、他の家庭がどう分担しているのかは実はあまり良く知らない。
ちょっと古いけれど、共働き家庭の家事分担の割合における満足度に関する調査なんてものがあるんだね。
我が家の実態としては
とも:まよ=6:4
くらいの割合で家事を分担していると思うんだけど、満足度はどうですか?
ちなみにわたしは多めに負担してもらっていることもあって、概ね満足だけど。
自分も概ね満足だよ。極端にどちらかに偏っているってこともないし。
とものほうが負担の割合が少し多いけれど、そこについては不満はない?
あと、世の中には「収入や労働時間の少ない側が家事負担を多くすべき」という意見もあると思うんだけど、我が家の場合は収入も労働時間もわたしのほうが若干少ないにも関わらず家事負担も少ないので、そこについてどう思っているかは気になるかな。
わたしも正社員総合職で働いているし、収入も労働時間もそこまで大きな差があるわけではないけどね。
収入は結果論だし、現時点で差があっても将来どうなるかはわからないし、家事分担を考える観点からは外れてるかな。
労働時間は、お互い忙しい時期も少し余裕ある時期もあると思うから、そこも長い目で見れば、そんなに現時点の差についてあれこれ言うほどのことではないと思っている感じ。
あとは体力的に自分の方がまだ動けるとか、どちらかというとやってもらっているよりも、多少やってあげている方が居心地良く感じる性格ってのがあるかな。
極端に差がついたり、やってもらって当たり前感出ると、途端に全部放棄すると思うけどね。
確かに、特に収入面はいつ逆転してもおかしくない気がするね。
そういう意味だとある程度収入と家事負担は切り離して考えた方が後々お互いのためになるのかもしれない。
体力面については本当におっしゃる通りで、いまは持病らしき持病のないともに支えてもらっている部分が大きいけど、この先歳を取っていったらそこもどうなるか分からないし、柔軟に支え合っていきましょうという意識を共有しておくのが良いのかも。
あと全部放棄されるのは怖いから、これからもわたしもちゃんと家事を負担していこうという気になりました。
お互い様というやつですな。
料理・食事の話
そういえば、まよは以前こんなブログを書いてるよね。
これは4年前に書いたエントリだね!懐かしい。笑
この頃はまだおかずの作り置きをしていたね。
作り置き頑張ってたね。どこかの瞬間で力尽きた。
いつも日曜に1週間分のおかずを作り置きしていたけれど、わたしが異動して仕事が忙しくなってから日曜に頑張れなくなったんだよね。
休日出勤していたわけでもないんだけど。
休みの日に好きでもない料理を頑張る気力がなくなっちゃって。
料理とか食事へのモチベーションは4年前のエントリの時からお互い変わらないから、その後はしばらく冷凍チャーハンと卵かけご飯の時代が続いたね。
幸いだったのは、お互い食へのこだわりが低いから「こんな食生活嫌だ」って思うことがほとんどなかったことかな。
美味しいものを食べることは好きだけど、そのために自分の労力を割くのは嫌だ、という点が夫婦で完全に一致していたよね。
わたしはわたしで「ちゃんと料理出来ない妻であること」への罪悪感もなかった。
「わたしも男の人並みに働いてるし、女が料理しなきゃいけない法律なんかないし」って開き直ってた。
自分も「まよに料理して欲しい」とは全然考えてなかったからな。
とものその考えに救われていた側面もあったと思うんだよね。
世間ではまだ「奥さんの手料理」に幸せを感じる男性も少なくないと思うんだけど、何でともにはその考えがなかったんだろう?
ん〜作ってもらえるのは嬉しいよ。笑
嬉しいけど、でもそれはお互い自立しているのが前提の上で、プラスアルファというか。
自分が食べたかったら自分が作れば良い話だし、まよの言うようにまよも普通に働いているわけで、その上でどちらかだけが何かを負担するってのは無いかなと。
少なくとも僕らには料理は負担なので。
作ってもらって嬉しいのはわたしも同じだからな。笑
「男だから・女だから」に縛られずに役割分担出来る人と結婚したわたしはラッキーだったね。
我々より若い世代の人たちはもっとジェンダーの縛りから解放されているような気もするけどね。
そうだね。
料理については今のところはオイシックスのミールキットを作ることで落ち着いているね。
作り方と材料があるから誰でも出来るし、献立を考える必要もないし、スーパーへの買い出しもほぼ不要になった。たまに好きでカレー作るくらいか。
冷凍チャーハンと卵かけご飯の生活からオイシックスに変えたのも「このままじゃ体を壊す」という危機感からであって、食生活を豊かにしようとかの出発点じゃなかったもんね。
オイシックスなら付属の調味料にも添加物が極力入らないように出来ているから体に良いんじゃないかということで。
ミールキットなら作り方も毎回同梱されているから、手順を考える必要もないし、作り置きと比べても脳のリソースを料理に割かなくて良くなったことで「自炊を続ける」上でハードルが大きく下がったかな。
材料が個包装されているからゴミが多い気はしていたけど、バイオマスフィルムに切り替わったのも個人的にはポイント高かったよ。
人参の皮むきとか細切りとか絶対にしたくないけど、ゴミを出したいわけでもないから、環境への取り組みがなされているのは嬉しいね。
人参の皮むきは簡単だぞ・・・
分担としては、出来る方がやるってので前から変わってないね。
性善説に基づいた運用だから、片方が極端に何もしないタイプだと崩壊してしまうおそれはあるよね。
「自分ばっかりやってる」に陥りやすいというか。
料理だけでバランス取らなくても良いけど、全体のバランスはあるだろうね。
そこもやっぱりお互い自立していることを前提にって考えがあるかな。
一人暮らしだったら全部自分でやるのが当たり前なわけで、少しでも分担できたらとてもありがたいことだと思っている。
「まよが包丁を使ってるのを見ていると怪我しそうで怖い」とかもあるけど。
家事にも好き嫌い、お互い感じる負担度の違いはあるからそれを補完しあえたら良いよね。
そういう意味だとわたしは家事全般が嫌いだから、ちょっとやるだけでもものすごいハードルを達成した気分になっちゃう。笑
けど、してもらいっぱなしになることに居心地の悪さを感じる程度には神経が細いから良かったのかな。
一方的にやってもらうことに居心地の悪さを感じるのは一緒かな。
それで成立しているのかもね。
お互い良い人だってことですね。笑
掃除の話
わたしは家事全般が嫌いなだけあって掃除も「おうちが綺麗だと気持ちいいね」よりも「めんどくさい」が遥かに勝っちゃうタイプなんだけど、ともはそのへんどうですか。
綺麗好きというほど綺麗に保てるわけじゃないけど、物が少ない方が気持ち良く感じるってのは強いかな。しきい値を超えると急に片付けし出す。
確かに片付けとか模様替えとか良くしてるよね。わたしは「ラッキー」って思ってそれを眺めてる。笑
模様替えは子供の頃から好きだった。
その時の生活とか動線に1番フィットするのを探りたくなる。
「やってもらったことに文句を言わない」がモットーなので、わたしはその模様替えの結果は100%受け入れますよ。
それが「やってもらっている側」の筋というか、マナーだとも思うので。
そのスタンスがすごいよね。普通は口出ししたくなると思うんだけど。
ただ逆に、自分は自分の意図通りにまよが物を置いたり使ったりするかを観察している。
まよの動線が意図通りでなかったら、まだ自分のデザインが不十分だったのだと考えている。
観察されているのは知らなかった!日々実験なんだね。
でもこれはさすがに意図してなかったんじゃない?
わが家の現代アートの1つだね。精進します。
せっかくルンバがあるのに「ルンバが走れない家」にしている責任は痛感しています。
洗濯の話
洗濯のこだわりはまよの方が強い気がする。
何一つ役に立たないこだわりなんだけど、ひとつの洗濯ネットに違う種類のもの(例:トップス&パンツ)が入っていたり、ピンチハンガーに干す時に出来るだけシンメトリーに干されていないと気になって仕方なくてやり直したくなるんだよね。
同じ種類のものだけまとめて洗濯ネットに入れたいし、ピンチハンガーには出来るだけシンメトリーに干したい。
自分はそのこだわりは全くないんだよな。ちゃんと洗えて、ちゃんと乾けば一緒だと思っているから。
それより洋服が重なって丸まっている方が気になるけど。キャミソールとヒートテックとか。
他の女性が同じような着方をしているかは分からないけど、冬場になるとわたしがキャミソールの上に長袖のヒートテックを着ていて、しかも脱ぐ時には一度に脱ぐから2枚がばらけず、さらに裏返しのまま洗濯に出されているというあれですね。
それです。それを1枚ずつに分ける役割は拒否しました。笑
「はい、直してね」ってまよに渡すもんね。
たまに見かける「夫が靴下を洗濯機にちゃんと入れてくれない」みたいなやつだ!
自分が拒否されて思うんだけど、そこで最終的にやってあげちゃうからいつまで経っても相手に甘える癖が直らないんだよね。夫が靴下を洗濯機に入れてくれなくて悩んでいる皆さんは靴下を洗わないであげて本人を困らせたらいいと思いますよ。
やっぱり「お互いが最低限の節度を持つ」からこそ適度な分担が実現するんだろうね。
洗濯する時に一度にカゴを空にしたくはなるんだけどね。
自分が気になっていることを黙ってやってあげちゃうと、結局相手が変わらないってのはあるかも。
ゴミ出しの話
ゴミは臭いがまよの方が敏感だから、まよが早めにまとめることが多いね。
自分は鼻は弱いんだよな〜。
わたしは部屋が散らかっていても部屋の片隅にほこりが落ちていても全然平気なんだけど、生ゴミとかの臭いだけは耐えられないんだよね。
せっかくマンションに住んでいていつでもゴミを出せるんだから、小まめに出さない選択肢はないよね。
我が家の家事分担が上手くいっている背景
あくまでうちのケースということにはなるけど、家事分担を上手くする秘訣はなんでしょうまよさん。
やはり「やってもらうことを当たり前だと思わない」に尽きるんじゃないでしょうか。
料理のところでも言ったけど「性善説に基づく運用」をしている以上、各自がある程度自発的に家事に取り組むことが不可欠で、そのための土壌というか、前提を共有しているのは大事だよね。
まよはいつも「ありがとう」をちゃんと言ってくれるよね。だからやっている方も気持ちよくできるのもある。
あとまよは家事をしたらちゃんと「これこれをやりました!」ってアピールする。
繰り返しになるけど、わたしは本当に家事が嫌いだから(笑)、それをわざわざやったということは称賛されるべきと思っているんだよね。
だから家事したら「やったから褒めてくれアピール」もするし、やってもらったら「ラッキー」と思いつつお礼の言葉もちゃんと述べる。
自分がせっかく家事をしたのに「やってもらって当たり前」みたいな態度をされたらカチンと来ると思う。
それはそうだね。やったことをわざわざ自分から言うのもな〜と思っていた時期もあったけど、相手が気付いてくれるのを待つのも違うと思うし、まよがちゃんとアピールしてくれるから、こちらもありがとうを言いそびれない。
そして、自分もアピールすることを躊躇しなくて良くなった。
家事が見える化されていないから分担が上手くいかない、という話もインターネットを見るとたくさんあるよね。
アピールすることは自分がやった家事の見える化につながるし、そこで相手も「そんな家事あったな、やらないといけなかったな」と気付きを得られる側面があると思う。
「どのレベルをもって『家が綺麗』とみなすか」「どの頻度でバスタオルを洗うか」という細かいレベルのことはもう話し合ってすり合わせていくしかないよね。
たとえばわたしは本音を言えば毎日タオルを取り替えて洗いたいけど、フルタイム残業ありで働きながらだと現実的じゃないと思っているから、「洗濯機を乾燥機能付きのものに買い替えたら実行に移す」と決めていて、いまは週末だけ取り替えて洗うことに甘んじている。
自分が出来ないから「毎日タオルを取り替えて洗うこと」をともに強要することもしない。洗濯機を買い換えたらお願いするかもしれないけど。笑
機械化するなりアウトソース出来るものは、出来るだけしていきたいね。
アウトソース出来るだけのお金があるのも共働きならではだよね。どんどんラクして楽しくQOL上げていこう!
総括
最後に我が家の家事分担が比較的うまくいっているポイントをまとめておきます。
- [前提] 家事のOKレベルをすり合わせる。違う環境で育っているので違うのが当たり前。妥協が必要な時も、労力対効果を見ながら冷静に対話していく。
- [尊重] 相手を思いやりながら、お互いやれることをやる。[前提]の対話をした上で、なお文句やこだわりがあるならご自分でどうぞ精神。
- [可視化] やったらアピールする。お互いの負担の認識が合うし、自分だけがやっているとか、やったことに相手が気付いてくれない、といったことで悶々としない。
- [感謝] やってもらったらお礼を言う。当たり前のことなんて何もないぞ。
内閣府が配布しているシートとかのツールを上手に使って、家事の見える化と分担について前向きに話し合えって、それぞれの家庭での最適解が出せるといいよね。