わたしたちの”結婚観”<前編>

わたしたち夫婦にとって「結婚」って何なんだろう、ということについてエントリ2つに渡ってお届けします。
前編ではそもそも「結婚」というものについてどう考えているか、後編では、結婚生活そのものについて話してみました。
まずは前編です。

結婚ってなんだ?

そもそも「結婚観」ってなんだろう?

結婚をどう考えているか、結婚したいと思うか、結婚してどんな生活を送りたいと考えているかってあたりですかね。

ともは彼女もいないうちから「結婚したい」って言ってたね。笑

言ってたね。笑
一過性の恋愛をしたいと考えなくなっていたのもあったし、それよりもじっくり関係を築いていくことに対して憧れがあった感じかな。

どんな結婚生活を送りたいか〜といったあたりまでは、さすがにその頃に具体的に考えていたわけではなかったよね。

考えられていなかったね。家族の形についても、自分の実家・親戚くらいしか具体的なイメージを持てていなかったと思う。

わたしはともが「結婚したい」と言っているのを見て、「この歳(24〜5歳)の男子で特定の彼女がいるわけでもないのに結婚願望がある人なんているんだ!」というのは新鮮な驚きだったな。
わたしもいつか結婚したいという考えはあったから、そのような男子の存在は希望になった。
まさかそのともと結婚するなんて、その頃には夢にも思わなかったけどね。

そんなに珍しいかな。結婚願望自体は持っている人多いんじゃない?しなければいけないもの、みたいには考えていないにしても。

それはいいことを聞いた。
わたしは完全に精神的な拠り所を求めて結婚がしたいと思っていたな。情緒不安定な20代を過ごしていたので(笑)、結婚したら精神が安定するんじゃないかと夢見ていたかも。
実際に精神的には安定したけど、それを結婚の目的にするのって、本当は健全じゃないからやめるべきだと思う。わたしの場合はたまたま運が良かっただけだね。

結婚の目的か。目的ってなんだろ。目的、あったかな。

それこそ人によるんだろうね。愛する人と一緒にいたいから結婚する、が一番想像のつく「目的」だけど、子供が欲しいから、とか、人によって「目的」は変わるのかも。

ずっと一緒にいるにしても、子供が欲しいにしても、夫婦の形(=結婚)が今だと自分にとっては「自然」な感じがするのだけど、別に結婚って必須事項ってわけでもないよね。
自分の場合は、結婚することで覚悟とかけじめをつける感覚が強かったかな。

そのあたりは国の文化とかも影響しそうだよね。フランスだとずっと一緒に住んでいて子供を持っていても結婚していないことも珍しくないというし。
わたしの友人がオランダに住んでいて、パートナーと子育てをしているんだけど、パートナーシップ制度というものでパートナーとの関係を登録をしつつ、やっぱり結婚はしていないみたい。
わたし自身は、自分の体が病気でなかったら事実婚も視野に入れた気がするな。名字、変えたくなかったし。だけど、法律婚していないと病院で家族として扱ってもらえないから、法律婚するか〜みたいなところはあったと思う。

オランダのパートナーシップ制度は結婚に近そうだね!
事実婚だと社会的に扱いが違うってのは今の日本ではあるよね。生活を考えればそういう側面も大事だし。加えて、気持ちの面も結構大事かなと思っていて、そういう意味では結婚式とかの「式」ってちゃんとやりたいと思う方かな。
結婚も事実婚でも別の制度でも良いのだけど、書類上の手続きをわざわざするのも、一つの区切りみたいな感じで。

それはそれで分かるよ。「もう後戻りできないぞ」って自分に言い聞かせる側面でも儀式って意味があるものなんじゃないかな。
実際はだめになったら後戻りしてもいいんですけどね。

名字/選択的夫婦別姓について

結婚って基本的には本人同士でするものだと思っているんだけど、家同士のつながりみたいなことは考えた?

そういう部分から逃げられないんだろうなと頭のどこかで思いつつ、どうやったら逃げられるかということばかり考えてたね。笑
そもそも名字を変えるのだって嫌だったのに。

名字については、まよと話していて自分自身の無意識バイアスとか固定観念に気がつくことが多かったな。

「わたしが名字を変えるのが当たり前だと思ったら大間違いだ」って言って喧嘩になったの覚えてる?

どういうやり取りしたっけ。笑
でも「まよが自分の名字になるもの」と当たり前のように考えていたことに気がついたのは覚えている。

あなたが実家で「結婚しようと思う」って話をした時に「結婚するのはいいけどうちの名字じゃなくなるなら話は別」って言われたらしいんだよね。
で、あなたが伝書鳩みたいにそれをそのままわたしにまるっと伝えてきたのよ。
それでわたし大激怒よ。
「それをそのままはいはいって聞いてきたの?そこはせめて『悪いけど自分の名字になってくれないか』って言うところなんじゃないの?そもそもどちらの名字にするかって二人で話し合って決めるものなんじゃないの?」って。

ひどいやつだ。と、今は思うんだけど、このあたりは正直に言うと、自分も感度がもともと全然鈍かったと思っている。
自分の名字が変わるということは、それまで考えたことがなかった。

正直に言うと、わたしも女に生まれたからには結婚する時に名字が変わるんだろうな、と漠然と思っていたふしはあるんだけど、実際に「変えるでしょ」みたいな態度を取られたらすごくショックだったのね。
30年近く慣れ親しんできた名字を捨てさせることにこの人は何も思わないんだ、自分に置き換えて考えられないのかな、というのがね。
それに、江戸時代から続くような由緒正しいおうちとかだったらまだ分からなくもないけど、そんなこともないし、そもそもともは三男じゃんとかも思った。

そうね。考えたことがなくて気がついていなかった、と思う。その節は申し訳ありませんでした。
選択的夫婦別姓の議論は、今はとてもホットだね。自分に置き換えた時、生まれてから慣れ親しんできた名字を変えるってすごく大きなことだと思う。

名字に限らずだけど、それまで当たり前だと思っていたものに疑問を持っていくっていうのは大事にしたいと思うね。
わたしの喧嘩の売り方もよろしくなかったけれど、実際に喧嘩を売られた時のとももすごく怒ってたし、それって自分とか、自分の実家とか、そういうバックグラウンドを否定されたような気になってしまったからだと思うんですよ。
でもこれからは今まであった慣習みたいなものに対して「本当にこれでいいのか?」って一緒に考えて話し合っていけたらいいなって思うし、わたしたちなら出来ると思っています。

あとは、図星だったからだろうね。
自分が当たり前にしていたものが「そうではない」となった瞬間だったから、頭がうまく働かなかったのもあるし、否定されたことについて、反発心みたいなものも混ざって、感情的になってしまったなって思う。
一呼吸おいて落ち着いて話し合うのは、これからも大事にしたいね。

わたしも思考が凝り固まっているところがたくさんあるので、頭に血を昇らせずに話し合いをしていけるようにしたいと思っています。ご指導よろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願いいたします。

結婚=ウンコの世話!?

改めて結婚することについてだけど、まよは「この人のトイレの世話までするつもりあるか」みたいなことをよく言うじゃないですか。
なかなかそこまで考えている人って多くないと思うんだけど、まよはいつ頃からそう考えているの?

ズバリ元彼と別れることを考え始めた時ですね。
「この人とあと50年一緒にいて、年取ったこの人のウンコの面倒を見るなんて無理!」って思ったのが最初で、そこから「50年後に年を取ってもウンコの面倒を見てもいいと思える人と結婚しよう」と決めた。

そんなに明確にあったんだね。

わたしは男受けするタイプじゃないから、仮に元彼とお別れした場合、その後に彼氏が出来るか?ましてや結婚なんて出来るか?というところで結構悩んだのね。
でも、「この人とあと50年一緒にいるより一生一人のほうがまし」って思ってお別れに踏み切ったから、結婚するなら誰でもいいってわけじゃないよねとは思っていたかな。
結婚って「好き♡」って気持ちだけじゃ出来なくて、生活そのものだと思っていたから。

生活そのものってのはその通りだと思うけど、ウンコの面倒見てもいいと思えるか?って問いは、やっぱりなかなか出てこない気がする。

逆になんでみんなそこを考えないで結婚出来るのかが、わたしには不思議で仕方ないけどね。

言われてみて考えたけど、自分も一人ではそこまで考えられていなかったからな。
「ずっと一緒にいましょう」「健やかなる時も病める時も」って言葉の意味を考えれば、まよの言う通りなんだけどね。
実際にやることになったときに抵抗感なくできるかはわからないけど、少なくともそういう想像をしてみて「やれるかな」とは思ったんだよね。

はじめから完璧な夫婦なんていなくて、一緒にいるうちに家族になっていく部分もあるし、いざという時に支え合えればそれでいいと思います。
いざという時になってみて「やっぱりだめでした」とはならないようにしたいね。

そうだね。そういう意味では、結婚を考えたときには一度は想像してみると良いトピックだと思うね。
結婚もダメだったら別れればいいという考えもあると思うし、実際なにかクリティカルなときには別れればいいとは思うのだけど、「お互い支え合いましょう」ってどういうことか?を「好き♡」ってだけではなく、具体的に考えると深まりそう。

もちろんダメだったら離婚するという選択肢はあるべきだね。極稀にだけど、結婚した途端相手が豹変したなんて話もあるし、違う環境で育った同士だからどうしても譲り合えないものも出てくるかもしれないし。
ただ、ウンコの世話をする想像もしないままに結婚をするのは違うんじゃないですか、ということかな。
色々な事情によってはじめはあったはずの覚悟が折れてしまう、というのは、それとはまた全く別の話だと思う。

結婚って、長い人生考えれば色々なこともあるけれど、今後の人生を一緒に歩みましょうってことだと思うので、その生活の中で相手のために自分ができることって何かな、相手のウンコの世話をすることになるかもしれないけど出来るかな、とか色々考えてみるのは良いよね。
実際に、いつ不慮の事故とかでそういうこと(=ウンコの世話)が必要になるかもわからないわけだし。

せっかく縁あって夫婦になったんだから、ただの「好き♡」だけじゃなくてパートナーとしてギブし合い続けていけるのが理想だね。

そうだね。そんなわけで僕らにとっての結婚はなにか?と考えてみると、「これからの人生を、一緒にお互い努力して頑張っていこうという約束」って感じですね。

<後編>に続く

Tomayoki
夫婦ユニットTomayoki。

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